この記事はVoicyとYoutubeで配信されたものを、AIを使ってテキスト化したものです。 一部誤字脱字や表現のおかしい部分がありますが、元の発言を忠実に再現させたものになるのでご容赦ください。

こんにちは、ブロガーで作家のはあちゅうです。

私は何をやりたいのか、人生を発信に使ってるのかを考えています。

最近 YouTube とか Voicy で発信を頑張ってるんですけど、頑張ってる中で私は何をやりたいのかとか、どうして自分の人生をこうやって発信活動に使ってるのかってことを、改めて考えています。

もう今は SNS が仕事になっている部分があるんですけど、でもそれって結果論でずっと発信し続けてきたからこそ、いつのまにかそれが仕事になったんですよ。でね大学卒業後は広告会社とベンチャー企業と2社経験したし、あと他にもね、これまでにアルバイトで色んな職種を経験してきたにも関わらず、なんでかね、私は他の道に進まずにこうやって自分の意見とか考えた事を世の中に発信するっていうことを今メインにやってるわけです。

ただなんか最初からこう発信をしたいとか、そういうことを強く思っていたというよりは、楽しく幸せに生きたいなとか、自由に生きたいなって思った結果が今なんですよね。

楽しく幸せに生きたい、そのための方法や工夫を研究して発信したい

じゃあ私に何をやりたいかっていうことを突き詰めると、本当別にたいしたことなくって、楽しく幸せに生きたいっていうことと、そのための方法とか工夫っていうのを色々ちょこちょこ研究して、発信したいっていうそれだけなんですよ。

だから、本当幸せに生きたい、そのためにいろいろシェアしながら共感してくれた人と一緒に、仲間になって、手を取り合って生きていきたいみたいな。そんなたいしたことではない上に、聞いてちょっとゆるふわだなって思う人もいるかもしれないけど、でもなんかね、そうやって発信を続けていると、思いがけず、自分の、信念と言ってもいいかもしれない、譲れない強固な主張を、発見したりとか、世の中的に私の意見でも見られるんだろうなって、カテゴライズができたりします。

私は世の中でいう「フェミニスト」なんだろうなと思ってる

例えば、多分私は世の中で言うフェミニストなんだろうなぁということを最近思ってますね。でも自分が生きていく上で、女性ってことは外せないんですよ。フェミニストって、本来の意味としては、男女ともに生きやすい平等な社会を作っていくっていうことだと思うんですけど、今はねやっぱ女性の立場が世の中的にちょっと低めになっているので、女性の権利獲得の行動運動している人が、すごく元気がいいのかなって、それをこう社会的にフェミニストって呼んでる傾向があると、感じています。

もちろんね、男女それぞれに生きづらさがあることは前提なんですよ。男の人は楽に生きてるなんてことは全く思わないけど、私は女性として生まれているので、女性の生きづらさに関しては、当事者としての意見が言えるんですよね。で、ね最初はやっぱりこうなったらいいのにっていう自分の気持ちが、世の中でフェミニズムというものにカテゴライズされるって事は、分からなかったと言うか、知らなかったんですけど、でもフェミニズムの本を読んで、すごく共感することが多かったりして、私の考えてる事っていうのは、他の人も考えてることだったんだって気づくことができました。

今もね、ちょうど #MeToo の関連本を読んでるんですけど、冒頭から頷きまくりなんですよ。「その名を暴け: #MeTooに火をつけたジャーナリストたちの闘い」って本の冒頭ですね。

性的嫌がらせは、違法行為であるにも関わらず、ある種の職業では、ごく当たり前に行われていた。たとえ抗議の声を上げても、解雇された、侮辱することがよくあった。被害者の多くは身を隠さざるを得ず、支援されることなかった。被害者の取るべき最善策は沈黙を条件に賠償という名の口止め料をもらうことだった。その一方で、加害者である男性の多くはますます出世し、称賛されることが多かった。嫌がらせをした当事者がいたずらっ子のごとく受け入れられ、喝采されることもよくあった。深刻なダメージを受けることは、ほとんどなかった。

これ本当は冒頭の冒頭部分なんですけど、本当そうだなと。

女性に生まれることは男性より不利なカードを引くこと

ここ数年ね、いろんな差別明らかになることによって、この社会で女性として生まれる事って、それだけで男性よりちょっと不利なカードを引くことなんだなって、愕然としたり絶望したり、戦わなくちゃ変えなくちゃって、奮起することもあります。

んで、差別が明らかになったって言ったけど、あまりにも巧妙な差別だったし、当たり前に存在していたからこそ、 今もまだ差別が明らかに、存在するにもかかわらず、ないことになってたりとか、差別を受けてる側の、あの本来苦しいはずの本人たちすら気付いてないこともある…ん…ですよね。うーん。私も昔は気づかなかったですね、この男女の非対称性と言うか、女性だけが直面する問題について。

就活のときから子供を生むことを考えざるを得ない。男性は純粋にキャリアを選べる

例えば女性は当たり前のように、就活の時からいつ子供を産むかみたいなことを、考えざるを得ないんですよ。子供が欲しいかどうか、結婚はいつするのか、で出産しても働くのかどうかっていうことは、私は就活の時に考えたんですけど、それって結婚と妊娠と出産に、女性のキャリアが大きく左右されるからなんですよね。

でも男子大学生って、もっとこう純粋にキャリアを選択できるような気がします。でも、今もそうですよ。本当にあの時代はまだ私が就活してた時と変わってなくて、なんとなく家事が女の仕事って、なってたりっていう風潮が今でもあるし、もちろんね、うちはそうじゃないですとか、うちの旦那はもう完全に平等にやってくれますみたいな人っていると思うし、世の中どんどん進んできてるんですけど、それでも私は個人的に世の中を見て、女性はまだまだ男性と同じスタートラインに立てているとは思えないんですよね。

SNSで男性が同じことをやっても何も言われないのはおかしい

私の場合は、ネットの活動ってのが、活動の中心のになってるので、 SNS で今までいろんな誹謗中傷を浴びてきて、で、元々若いうちは自分が悪いんだなって思ったこともあるけど、同じことやってる男性は何も言われないで、あ…これって、私が女性性に対して言われてるんだなーっていうことも、フェミニズムを勉強するうちにわかってきたりとかしましたね。

例えば容姿についてとか、恋人の有無とか、結婚したら…あの子供産んでるどうかとか、それがそのも誰かから見た私自身の評価になっちゃうんですよね。で、その評価って、女性の方がすごくキャリアと、プライベートの距離が近い、男性もう少しキャリアとプライベートが分離されてる気がします。でまあ私の感じてるので、言ってしまえばただの不満なんですけど、その不満て改善したいって思った瞬間に、思いっていうポジティブなワードになる気がするんですよ。

不満があって私は世の中に対して発信してますって言うとさ、どうしてもこう、トゲトゲしい感じになっちゃうかもしれないけど、思いがあって発信してますって言うと、ちょっと受け取られ方が違いますよね。これが大事なんだと思います。不満を思いに変えて自分のエネルギーにして、そして社会を変えていく。自分にとって住みやすい世の中を作る事っていうのは、同じ悩みを抱える誰かの悩みを解決して、社会を進めることになると思います。

ま、私が当事者の問題と言うと、セクハラとかの女性差別とか、誹謗中傷みたいな社会の問題にしてもね、結局生きづらさみたいなものって個人に帰属するってよりは、やっぱりその根っこの部分には、制度とか人々の考え方があるから、そこが変わったら解消されると思うんですよ。

うーん、だから、未来にこれは引き継がれたくないなっていうものは、声高に主張して、世の中に対して訴えていくことってのがすごく大事だなと、考えています。

だからね、私、昔「半径5メートルの野望」っていう本出したけど、このタイトル良かったなーっていうことを、つくづく今…思っていて、今もう私は自分の生きづらさを思いに変えて、自分の半径5メートルの世界をより良い世界に変えていくっていう事を、続けてるんですよ。でこれからもそれを淡々と続けようと思ってます。

炎上しようが叩かれようがおかしいことはおかしいと言いたい

これまでに、も、私いろいろ炎上してきたんですけど、やっぱり炎上しようが叩かれようが、おかしいことはおかしいって言いたいんですよねー。それがなんか、個人攻撃になってしまったりとか、誹謗中傷に繋がったりとか、何かこう意見の角を見ずに、言葉の揚げ足取りが進んだりとか、あと面白おかしく報道されることとかの方がおかしいなと思ってます。

もちろん自分に一切非がないとは思ってなくて、言葉遣いの未熟さとか、皆が皆私の発信を全部見てるわけじゃないから、誤解が生じたりもするようなとか、私が前提条件をもっと丁寧に言えばいいんだとかね、あのいろいろ学んでますけど、私自身もやっぱり変わらなきゃいけないこととか、変えてきたこととかはたくさんあるんですよ。

やっぱ18歳の時からね、ずっとネット上で活動してるから、もうずーっと残っちゃうんですよね。一回しただけの発言とか、 ちょっと言葉のはずみで間違った表現使っちゃったとか、16年分残ってるんですよ。でもそれがもう繰り返し繰り返し、別の議論をしてる時にも言われたりとか、あと関係ない人に言われたりとか、あとね、あ…うん…ここが抜け落ちてるんだけどなー、みたいなことがあったりとか、私は私でやっぱり見てきた景色があるので、反論したくなる時もありますね。

何でこんなことで叩かれるのかわからないと思うことがたくさんあった

でも、正直炎上してきたトピック中で、なんでこんなんで叩かれなきゃいけないんだろうって思うことが、たくさんあります。むしろそっちの方が多いですね。

例えば数年前は事実婚って言うだけで、本当、むっちゃくちゃに叩かれたんですよ。もう、何なんだろう、たぶんね、周りから見てたらもっとよく炎上すらよく見えてないかもしれないんですけど、本人が爆撃地だから、ものすごいですね被害が。言われたこととかずっと覚えてますよ。

意外とね、人は人の炎上をに気づかなかったりとか、あとはもう数日で忘れちゃったりとかする。誰が不倫してたとか、こう炎上があったとかも、本当に一週間ごとに石を投げられる相手って変わるじゃないですか。でもね1回石投げられたらね、ずっと覚えてるし、その言葉は繰り返し繰り返し自分の所に誰かが持ってくるんですよ。だからなんかね、言葉の牢獄にいるみたいですね。

まあでも、事実婚とかも、みんなが思ってる以上に私はすごい叩かれて、悔しかった…です。でも今は、雑誌とかで事実婚の取材を受けたりとか、すごい自由でいいですねって言ってもらえたりとか、することもあって、ちょっとこう時期が早かったかもしれないけど、私がやったのは。数年単位でねこうやって世の中の空気感って変わるんだなっていう風に思います。多分もう数年したら、事実婚を叩いてる人達の方がダサいっていう、世の中になると思う。

18歳の時私は顔写真と名前だしただけで炎上して、noteで有料コンテンツを販売した時も燃えたし、オンラインサロンも燃えたし、なんか、あの、私の炎上の歴史、割と時代の変化、ネットの進化史みたいな感じだなって思うんですけど、うーん、なんか結構燃えるとね、無駄に色のところに延焼するし、えっこんなこと言ってないんですけどみたいな感じに歪んで伝わっていくし、もう、精神的な傷がすごいから燃えるの嫌いなんですけどね。

自分のイメージはコントロールできない

でも、世の中的には炎上商法とか、わざと炎上して燃えてる人って思われたりね、なんかもうはあちゅうって言葉にまとわりつく、マイナスイメージって多分すごいんだろうなっていう風に思います。

自分のイメージはコントロールできないから、一部しょうがないなと思う部分もあるけど、でも…うーん自分が口にしたことに対して、100倍1000倍の負になって返ってきて、で、それで本当に死にたくなったことも何回もあるので、でね、よく考えたらね、誰かが意見をいうだけのことで死にたくなるって、そもそもそんなおかしな場所になってる SNS の環境がおかしいんですよ。そこは今私は、もう1回捨てた命だと思って、この命を使って、ちょっとでもいい方向に世の中を動かしたいなと思ってますね。

で、やっぱり誹謗中傷のニュースとかシェアすると、自分にとっての、利益があるニュースお知らせという風に思われがちだけど、私は当事者だからやっぱり発信しやすいからこそ、皆に伝えるっていう使命を、背負ってるんじゃないかなという風に感じて、シェアとか、したりしてます。

うーん、今誹謗中傷とかフェイクニュースの問題と戦ったりね、そういうトピックでメディアに出ることって、正直、別に自分の活動そのものにすごい、大きな利益があるわけではないんですよ。インタビューなんて、謝礼もらえないこともある割に、ものすごく高いチェックも大変だし、またね、炎上要素になったりとかするし、なんかブランディングが誹謗中傷と戦う人になる事ってあんまり嬉しそうじゃないですしね。なんかそういうポジション取りに行ってるんでしょ、って思われることあるけど、全然そんなことない。むしろこんなポジションは取りたくない。普通に本書いて、生きていきたいなとか、ブログ楽しくやりたいとか、 なんとかそんなところなんですけどね、出発点は。

改善しようと思った瞬間から思いに変わり、社会を変える

ちょっと愚痴っぽくなってきちゃったのと長くなってきたので、言いたいことはまだまだあるんですけどとりあえず今日はこの辺でまとめたいと思います。で今日ね、皆さんに持って帰ってもらいたいのは、やっぱり…あの…今いろんな立場でこれを聞いてくれてる人とかいると思うんですけど、普段抱えている不満というのは、改善しようと思った瞬間から、思いに変わるし、実際に、社会を、変えるって言う事です。これも選挙と同じで1人1人の行動が社会全体を作っていくので、皆が自分自身の幸せを、真剣に考えて行動していけば、より良い社会に徐々になっていくと思います。

なのでね本当にこう人一人の行動って言うけど、じゃあ行動って何かって言ったら、1日の過ごし方だったり、 SNS での振る舞いだったりとか、そんな些細なことの積み重ねだったりとかするのでね、なので今日も一日一生懸命生きましょうっていうことと、自分がかっこいいと思う生き方をしていきましょう。

はいそんなことが伝えたかったです。

ではまた。ふははっ。